2.日常の夢と女郎花

 何度目かの交わり。男は自ら菜津実を抱くことをせず、今日も下で動かずにじっとしている。感じているのはわかっているため、菜津実は何も言わない。お互い、気持ちよくなるだけの関係。
 性交というよりは、自慰に近い。思わず自虐気味に笑ってしまう。男は、虚空を見つめて菜津実のことなど見ていない。男が達するのを感じながら、菜津実も絶頂を迎えた。
 一息ついてから、菜津実はシャワーを借りて服を着る。身支度を整えてから、男に一言告げて部屋を出た。返事などない。しかし、気づくとそれが当たり前のようになっていた。



 数日おきに訪れる菜津実に、男はうんざりした顔で出迎える。菜津実はそんなことなど気にせず、中に入った。見慣れたほどでもなく、感慨など湧かない室内だ。
 事務所にかけられているカレンダーをふと見る。なんとなく殺風景に感じ、菜津実はペンを持ってカレンダーに猫を描いた。可愛く描けた猫を見て、菜津実はご満悦である。
 それを見た男が、何をしているのかと聞いてきた。菜津実は素直に猫を描いたと答え、男に見せる。
「これで、私がいつ来たかわかるでしょう?」
 今日を含め、今まで訪れた日にちに描いた猫を見せて、菜津実は悪戯っぽく笑う。勝手に付け足された絵を見て、男は嫌そうな顔をしたが何も言わなかった。  この男の嫌そうな顔を見て、菜津実は笑みを濃くする。今日のお楽しみはこれからだ。ソファに赴き、男を押し倒した。
 雨の音が聞こえる。そういえば、今日は夜中から雨が降ると当たるかどうかわからない天気予報士が告げていた。
 裸のまま、菜津実は冷蔵庫を漁る。運動した後のため、小腹が空いたのだ。どうせこの男の住居に小腹を満たせるような物など入っていないのはわかっているものの、つい探してしまう。
 しかし、今日は違う。この間見た時にはなかったものが置いてあったのだ。見ると、それはコンビニで売られているプリンである。
 ラッキーと思い、勝手にプリンを手に取った。ここの主は甘いものはそんな好きではないと言っていた気がしたので、菜津実は食べることにする。
 事務椅子に腰掛けて、菜津実はプリンを食べ始める。どこにでもあるプリンであるが、運動後の食べる甘味は美味であった。しかし、甘いものが苦手だと言っていた男の冷蔵庫にあったのは不思議である。どうしたのかと問いかけると、男はめんどくさそうな顔で仕事の時にもらったのだと返した。
 そんなものをもらう仕事とは思えなかったが、男がこれ以上話しかけてくるなという雰囲気を出したので詮索しないことにする。菜津実はただ、ありがたくいただくだけだ。この時間に食べるのは太るといわれているが、運動したので問題ないだろう。
 プリンを食べ終え、この後どうしようかと考える。今日は、家に帰る気分ではない。もう一度この男と遊ぶのでもいいのだが、そういう気分でもなかった。
 そういえばと思い立ち、菜津実は懐中電話をバッグから取り出す。こんな時間ではあるが、電話をかけ始めた。
 電話相手は、友人だ。菜津実にしては珍しい、付き合いの長い相手。今からそっちに向かっていいか尋ねて、了承を得る。それだけの、短い電話。
 気づくと、男がこちらを見ている。どうしたのかと思ったが、これからの移動時間を考えて菜津実は何も言わないことにした。
 身支度を整え、菜津実は男を見る。彼は、もう菜津実を見ていない。
 いつものように、出る直前に鍵をかけ忘れないようにということと、また近いうちに来ることを告げて部屋を出る。男は、相変わらず返事をしなかったがなんとなく不機嫌そうな感じがした。
 不思議に思いながら、菜津実は友人の家へと向かう。今日は『彼女』がいないと言っていたので、久しぶりに朝までいられる。少し、気分が上がった。



 十日ぶりの、荒川ビルを見る。そこまで時間が経っていないのだが、なんとなく懐かしく感じた。
 ここまで日にちを空けたのは初めてだ。その間、菜津実は久しぶりに会った友人と話しをしたり、家族と出かけたり、趣味を楽しんでいたりと忙しかったのだ。別に、忘れてなどいない。
 目的の部屋の前へ着く。表札を確認し、菜津実はノックしてから扉を開けた。
 久しぶりと声をかけて男を見る。しかし、部屋の中にもう一人いるのを見つけて首を傾げた。
 確かに、今はまだ夕方だ。普通なら、仕事をしている時間だろう。だが、菜津実はこの男がどんな仕事をしているのか、また普段何をしているのか知らない。
 辛うじて、ここに来るために縁切り屋という胡散臭い文字の書かれた看板なら見ているが、実際どんな仕事をしているのかはわからなかった。
 改めて、菜津実は二人の男を見る。ここに来るたびに見る男は、眼鏡をしておりいつもと雰囲気が違う。書類を見る時などにかけているのだろう。
 もう一人の男は、髪が長くどこか陰気臭い感じがする。少し猫背気味で、本棚で何か資料を整理していたのだろう。
 二人とも、菜津実を見ている。本棚のほうにいた男は、何か用ですか、とぼそりと小さな声で尋ねてきた。どうやら、依頼があって訪ねてきたと思ったのだろう。
 菜津実は首を振り、この男の顔を見に来ただけだと正直に告げる。陰気臭い男は、少し驚いたような顔をしたが表情がよく読めない。わかりましたと言うと、すぐに資料の整理に戻っていった。
 勝手知ったるなんとやら、というほど通いつめてはいないが、菜津実はソファに座る。何しているという視線を感じるが、菜津実は気づかないフリをしてぼんやり男たちの様子を眺めることにした。
 しばらくして、帰る時間になったのか陰気臭い男が帰っていく。その様子を、菜津実と男が見送った。丁寧に頭を下げて去った男に、純粋さを感じる。
 見送った後、男は鍵をかける。そして、睨みつけるように菜津実を見た。菜津実はどうしてそんな顔をするのかわからないというような表情をし、冗談っぽくどうしたのかと尋ねてみた。
「どうしたんですか、そんな怖い顔して。もしかして、私がしばらく来なくて寂しかったんですかぁ?」
 煽っているのはわざとだ。菜津実の言葉に、男は苛立ったように違うと答える。当たり前だ。定期的に来ていたのに急に来なくなり、それが今日連絡もなしにこちらに来たのだ。イラつくのも仕方ない。
「大丈夫です、私はあなたのことを忘れませんでしたよ」
 そんなことはない。他の男と遊んでいたら、この男がどうやって自分を抱いていたのか忘れてしまった。忘れてしまう程なのに、それでもこうして来てしまうのは何故だろう。
 気づくと、菜津実は男をソファに押し倒している。そして、彼の嫌がる顔を堪能するのだった。



「おじゃましまーす!」
 元気に挨拶をして、菜津実はいつも通りに中に入る。今日は、先程まで友人と遊んでいたため機嫌がいい。楽しかった出来事を思い出しながら、菜津実はいつものように男にしなだれかかる。
 そこで、菜津実はあることに気づいた。いつも、この男とはキスをせず行為をする。別に恋人同士でもないため、必ずしなければならないわけでもない。菜津実も、そこまでキスに思い入れがあったり好きだったりするわけでもないため、自分からしようとは思わなかった。
 男のことを見つめて、顔を近づけてみる。男は菜津実の意図を察したのか、嫌そうな表情で顔を背けた。
「キスするのは嫌ですか?」
 単刀直入に、菜津実は尋ねる。別に答えが返ってくるとは思っていない。もしかしたら、菜津実みたいな存在を汚らわしいと嫌がっている可能性もある。
 様々な人と関係を持っていることを直接言ってはいないが、察しているのだろう。本当は嫌なのだが、責任を取ると言った手前引くに引けなくなったのだ。可哀想になるくらい真面目な男である。
 だが、菜津実は男の感情や考えなど興味はない。拒否せず、やりたいことをやれるのなら嫌われても構わないのだ。どうせこの行為は、嫌なことを忘れるための一時の甘い夢みたいなものなのだから。
 返ってくるはずもない返答に興味を示さず、菜津実は男の服を脱がそうとする。今日はどんな風に楽しもうかと考えていると、男が突然口を開いた。
「恋人としか、したくない」
 驚いて、男の顔を見る。男は菜津実のことなど見ておらず、どこか遠い場所を見ているようだ。
 思っていた以上に純情な答えが返ってきて、驚く。ただ肉欲を貪る相手がいるのに、そんな感情を持てるのか。素直に、面白いと思った。
 しかし、それと同時に菜津実は悲しさを覚える。所詮、自分はそんな女になれないのだということを思い知るのだ。嫌な気持ちが心を支配する前に、菜津実はまだ固くなっていない男のモノを口に含む。そして、いつものように今日も男の上で喘ぐのだった。



「一本もらっていいですか?」
 男が箱から取り出したタバコを見て、菜津実は尋ねる。男が吸おうとしているのを見て、自分もタバコが欲しくなったのだ。
「女が吸うもんじゃねえぞ」
 心配しているのか、それとも嫌がっているのか判別つかない声で男が言う。たしかに、男が持っているタバコの銘柄は菜津実が知る中でもかなり重めのものだ。
「いいじゃないですか、一本くらい。私だってたまにはそういうのを吸いたいんですよ」
 そういえばこの男に自分がタバコを吸っていることを伝えただろうかと思いながら、無理矢理一本奪う。そして火をつけて、ゆっくりと息を吸った。重い空気が肺に入って染み渡る。煙が二人分、空気に混ざって消えていった。



 暑さも本格的になってきた夜。蒸し暑さが肌を滑る。そんな中でも、菜津実は荒川ビルに遊びに来ていた。
「じゃーん、見てください!」
 嬉しそうにしながら、菜津実は男にあるものを見せつける。ここに訪れる前、友人と海へ行くために買った水着だ。
 どうしたのかと見てくる男に、菜津実は可愛いでしょう、と自慢する。わからなくていい、ただ見せたいだけなのだ。
 あっそうだ、と菜津実は声に出して言う。面白い考えが浮かび、菜津実は男の 目の前で服を脱いだ。菜津実の突飛な行動など慣れているためか、男は何も言わない。
 下着も含めて全て脱ぎ、一糸纏わぬ姿になる。そこから、菜津実は先ほど男に見せびらかした水着を着始めた。
「せっかくなんで、今日はこれを着ながら遊びましょうよ」
  男の返事など聞かず、菜津実はソファに寝ている男の上に乗る。抵抗しないことをいいことに、菜津実は自分の思うままに今日も動いた。


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