最悪だ。せっかく、明日は誕生日だからと休みを取ったのに、予定がことごとく潰れてしまったのだ。その原因にあの男がいないというのも腹立たしく、菜津実は行きつけの居酒屋で酒を飲む。
「あんた、いい女だな」
賑やかな店内、そこにカウンターで一人飲んでいると、突然隣にいた男が声をかけてきた。呂律が回っておらず、顔も赤くなっている。かなり飲んでいるのだろうと思わせる、酔っ払いだ。普段ならこんな男など無視するのだが、イライラしていたこと、そして人恋しさが相まり、話しに乗ることにした。
「あら、私に声をかけるなんて見る目があるじゃない」
男に向かって、菜津実はにっこりと微笑む。そして、優しく男の手を取った。手が触れてきたことに驚いたのか、男の戸惑った声が聞こえる。しかし、菜津実はそれに気づかないフリをした。
「今日は気分がいいの。あなたの相手をしてあげてもいいわ」
男は、菜津実をじっと見つめて何も言わない。それを、菜津実は無言の肯定として受け取り、さっさと二人分の会計を済ませ、男の手を引っ張った。そして、未だ喧騒が続く居酒屋を抜け出す。
もう夏も近づいているためか、外は夜なのに暑い。気だるさを感じる暑さに、思考が鈍くなる。行き先など全く決まっていないため、菜津実は歩きながら男に問いかけた。
「どこのホテルに行く? ここから近くていいところ、あまり詳しくないけど」
菜津実の問いに、男は少し悩んだ素振りをする。考えていたのか、しばらく無言であったが男は何か思い付いたのかいいところがある、と言ってきた。それはどこなのかと聞いた直後、今度は菜津実が腕を引っ張られる。それなりに強い力だったため、歩き始めるときにふらついてしまった。しかし、それより菜津実の前を歩く男のほうがふらついていたため、菜津実は何も言わないことにした。
男に腕を引っ張られながらついていくと、なんとも言えない、古びた違法建築を思わせるビルに着く。ここに人が住んでいるのかと疑ったが、漏れ出てくる音から、中に人がいることが窺えた。人が住んでいなければ、好みの廃墟として写真をいっぱい撮りたいほどのものである。しかし、今は男に手を掴まれていることもあり、諦める事しかできなかった。
カツンカツンと、お互いの靴音だけを響かせて階段を登る。しばらく階段を登ると、ある部屋に辿り着いた。男は鍵を取り出して扉を開ける。途中、鍵を落としそうになっていたが、そこは見ていないフリをした。
男が菜津実を中に招き入れる。それに続いて中に入ると、菜津実は部屋の中を大まかに見た。
事務所のような一室。机に、筆記具や様々な書類が置かれており、綺麗とは言いにくいが乱雑というほどでもない。どこか、程よい居心地の良さを感じさせる。
他に、菜津実はベッドがないかと見回す。しかし、思ったものが見当たらない。もしかしたら、部屋に大きく置かれているソファがベッドの替わりだろうか。他にいい感じの物も見つからないため、菜津実はソファに腰掛ける。その後、カチャリと鍵がかかる音が響いた。
手っ取り早く済ませようと、菜津実は服を脱ぐ。男もそのつもりなのか、服を脱いできた。この男はどんな感じなのだろうかと考えていると、菜津実は男に押し倒される。これから前戯かと身構えるが、何も起こらず。男の重さを感じていると、静かな寝息が聞こえてきた。
「はあ?」
思わず、声が出てしまう。まさかここまできて、据え膳食わぬとは思わないだろう。男を退かそうとするが、なぜか男の腕が菜津実の体に回っている。動くに動けず、菜津実は溜め息を吐く。どうせ抜け出しても、セキュリティーが不安なこのビルで鍵を開けたまま出るのは忍びない。
もう一度、溜め息を吐く。もう酔った男を相手にしないと心に決めて、菜津実は目を閉じた。ソファに二人で寝ているためか、寝心地は最悪だ。今日は、悪い夢を見そうだった。
寝心地の悪いソファで、菜津実は目を覚ます。なんとか眠りについたのだが、狭いソファで寝たためによく眠れなかった。しかも、男との距離が近く、寝苦しいほどであったのだ。
ぼんやりとこの後どうしようかと考えていると、近くで寝ていた男の驚いた声が聞こえる。男を見ると、呆然と菜津実のことを見ている。なぜ菜津実がここにいるのかを考えているようだ。酔った男というものは、本当に責任というものが無い。
「昨日のこと、忘れたんですか?」
あんなに楽しんでたのに、と続けると、男の顔がみるみるうちに青ざめていく。その様子が面白く、もう少しからかいたくなるのだが、可哀想なのでやめることにした。
冗談だと告げようとすると、男は突然床で土下座をし始める。全裸で土下座をしている様子は滑稽であるが、今はそれを楽しむよりも止めることが先決だ。なんとかやめるよう菜津実は言うのだが、男は動かない。どうしようかと思案していると、男は震えた声で菜津実に言葉をかけた。
「覚えていないとはいえ、酔った勢いであんたに酷いことをしてしまった。本当に申し訳ないことをしたから、責任を取らせてほしい」
突然の男の言葉に、菜津実は一瞬思考を停止させる。何を言って異るのか最初は理解できなかったが、少し時間が経つと、菜津実は言葉の意味を飲み込む。そして、面白いことを考えつき、優しく笑った。
「責任、とってくれるんですか?」
菜津実の問いに、男はそうだと告げる。男は頭を下げているため、菜津実からは表情が見えない。しかし、声の感じからかなり焦っていることがわかる。
「なら、連絡先を教えてください」
その言葉に、男は顔をあげる。訝しむような、不思議なものを見るような、そんな顔だ。
じゃないと訴えますよ、という菜津実の声に、男は慌てた様子で電話番号を告げる。菜津実は近くに落ちていた自分のバッグを拾い上げ、そこからメモ用紙を取り出した。もう一度男に電話番号を言わせて数字を書き、男に合っているかを確かめる。確認を済ませると、菜津実はメモを丁寧にしまった。
「暇な時に遊びに行きますので。どうせ、私を誘ったんだから今は付き合っている人なんていないのでしょう? お互い初めてでもないんですし、なら好きなように遊ぼうじゃないですか」
男は、菜津実の言葉に苦虫を噛み潰したような顔をする。図星なのだろう。その表情の変化が、また面白い。
散らばった服を集め、着替え始める。シャワーを借りようかと悩んだが、この後友人のところへ行こうと思い、そこで借りることにした。
着替えを終えて、バッグを手に取り入口まで歩く。今日は、これでさよならだ。
「明日連絡しますので、迎えに来てくださいね?」
そう言い残し、扉に手をかけた。呼び止めようとした声が聞こえたが、無視をする。足はやけに軽かった。
次の日。菜津実は、昨日言ったとおりに男を電話で呼び出した。迎えに来た男は、気怠そうな顔をしている。
「今日も楽しみましょうね」
笑う菜津実とは対照的に、男の顔は晴れない。かなり不本意なのだろう。それでも断らないのは、男の優しさか、それとも意地だろうか。
昨日訪れた場所に再び案内され、中に入る。ソファの近くまで来ると、菜津実は早速男に足を絡ませ、自身の肉体を押し付けた。男はそれを嫌がるように菜津実を退かそうとするが、うまい具合に絡みついているため離れられない。服越しに体を指でなぞると、小さな悲鳴が聞こえた。
男の股間に、触れる。少しだけ硬くなっているそれを優しく撫でて、反応していくのを確認した。
服を脱いで、菜津実は全裸になる。男にも服を脱ぐ指図すると、仕方なさそうにではあるが全て脱ぎ去ってくれた。
男をソファに押し倒し、上に乗る。秘部は自分で濡らし、すぐに出来るように準備をしていった。しかし、そこで怖気付いたのか男が不安そうな声を出す。
「本当に、やるのか……?」
その言葉に、菜津実はうんざりしたような声で答えた。
「昨日、責任取るって言いましたよね? なら、ちゃんと責任を取ってくださいよ」
菜津実は昨日、言ったとおりに連絡を入れてここに来たのだ。今更、何を言うのか。
「動くのが嫌なら、寝てるだけでいいですよ」
男の返答など聞かず、菜津実はゆっくりと腰を落とし男の硬くなったモノを自身の中へと入れた。菜津実の体をしっかり見ていたためか、口では嫌だと言いつつも体はしっかりと反応している。
男が動かないことをいいことに、菜津実はゆっくりと体を動かしていく。菜津実が動くたびに、男の押し殺した声が吐息とともに出てくる。少しずつ動く速さを変えていくと、次第に男の息も荒くなってきた。
動きの緩急をつけながら、菜津実は男の様子を楽しんでいく。男は必死に耐えようとしているが、快楽にすでに飲まれようとしている。
もうそろそろだと思い、菜津実は中を軽く締める。すると、男が達するのが感じられた。避妊具越しに、精を吐き出しているのがわかる。
ぼんやりと余韻を感じている男を見下ろし、菜津実は中に入れていたモノを引き抜いた。少し疲労感はあったが、時間を見るとゆっくりしている余裕はない。
菜津実は、男にシャワーを借りることを伝える。返事など聞かず、菜津実はとっととシャワー室へと入って体を洗い始めた。
男の反応は良かった。モノの大きさはまあまあか今までの男より小さいくらいであったが、悪くはない。しかし、積極性がなく面白みがなかった。これでは自慰のほうがマシかもしれない。
さっと汗を流しながら、思い返す。髪を洗おうとして、お気に入りのシャンプーがないことを思い出した。ここは、まだ二度しか訪れていない場所である。
軽く舌打ちをし、今度は自分の物でも持ってこようと決心する。髪はお湯で流すだけに留め、菜津実はシャワー室を出た。
洗面台まで来て、今度はドライヤーも無いことに気づく。仕方なく、適当に置いてあったタオルで髪を拭くことにした。髪が乾くまで、男の居住地にいる必要がある。終わった後はさっさと離れるのが菜津実の流儀のため、長居することにげんなりした。
洗面台から離れ、未だソファにいる男を見る。男は菜津実がシャワーを浴びる前と同じ様子で、ソファにぐたりしていた。菜津実のことなど気にかけていない様子である。
その様子になんとなくムカつくような、安心するような感覚がする。せっかく終わった後でもあるため、なるべく嫌な雰囲気は出したくない。こんなところで拗れて、変に疲れたくもないのだ。
髪もある程度乾いてきたところで、菜津実はバッグを取る。男が訝しげに菜津実を見てきた。どうしたのかと問うているようだ。
「やること終わったし、私はさっさと帰りますね。終電もまだ残ってますし」
普通の男なら、泊まっていかないのか聞いてくるだろう。しかし、この男はそうか、と言うだけだった。その一言が、菜津実にとってはかなり心が楽だ。
「私はもう出ますので、鍵はちゃんとかけておいてくださいね」
出る前に、一度だけ男を見る。男はもう、菜津実のことなど見ていなかった。
あれから、菜津実はあの場所に定期的に行っている、毎日ではないが、それでも一週間は空けずにだ。余計な詮索はしてこないし、何より束縛してこない。それが、菜津実にとってとても居心地が良かった。
今日も、三日振りに男の元を訪れる。男は嫌がる顔をしていたが、菜津実を拒絶することはない。
いつものように、ソファに座っている男を押し倒す。そして、行為を終えると終電前には男の元から離れていくのだった。